都内在住時、職を失った絶望感
2008年12月、リーマンショックのあおりを直に受け、僕は職を失いました。
当時、都内に婚約者と住んでいていきなりの無職。正直きっつーーー、マジかんべんですわ、と怒りをあらわにしている毎日。
リーマンショックが関わっての失職した日本人は、早期退職者も含め数万人といわれています。あと僕も含みますww
とにかく、怒ってばかりでもらちがあかないので職探しの旅に。まあ思うように見つからないので婚約者と別れ、僕はしぶしぶ実家に帰ることになりました。
収入が無ければ生活が出来ませんからね。
実家に帰ってきた僕に親父が言ったこと
実家に帰ってしばらくのんびり過ごしていると、親父が僕にこう言いました。
「職が見つからないなら介護やれ介護!」と、強めに言ってきたのを記憶しています。
なぜ僕が介護??全く意図が読めませんでした。
親父のススメもあり、当時流行っていた「ヘルパー2級」の資格を取りに福祉の学校へ行きました。学費7万超え・・・でかい出費だなと思いながら・・・
親父にススメられて介護の世界に足を踏み入れる
学校と言っても、つぶれたコンビニを改装したもの。中は狭く当時は25人ほどの受講生がいましたが、ヘルパーが流行りだした時期だったため受講生は多く、長テーブルに3人で座り、かなりぎゅうぎゅうでした。
受講生と話しをしていく中で、僕と同じリーマンショックの境遇だった方が3人ほどいたのには驚きましたが、逆に安堵した自分もいました。
2ヶ月ほどの介護の一通りの講習が終わり、今度は介護の職探しなのですが、当時ヘルパー2級のカリキュラムに施設実習という項目があって、その実習先でご縁があり、特に何もせずに履歴書を後日送って軽い雑談のような面接をして採用になりました。
いあやぁ、僕の中でこんなにも職探しが楽だったのは初めてですし、この時始めて介護って本当に人手が足りないんだなぁと思うくらい需要がある職種だと実感しました。
グループホームに入職して思うこと(思ったこと)
入職当日、先輩方に挨拶したあと社長の介護とはなんぞやという長い話を聞かされ、現場に出てみると、ホールでTVを観ている利用者さんが僕に話しかけてくださいました。
「あんた新人かい?しっかりやれな!」と、しりを叩かれました。
僕が就職したのは、グループホームという介護保険上の地域密着型サービス事業所。
日本語で言うと、認知症対応型共同生活介護・・なげーーよww
その名の通り、認知症と診断を受けた方や、普通に見えるけど極端な妄想をしたり徘徊したり、脳梗塞などで体半分麻痺してしまい自宅では見られないという家族の為にあるような施設。というか事業所といったほうが正しいのか。
グループホームとは、利用者同士でごはんを作ったり、一緒に散歩したり、買い物したりして、擬似家族を作るということが1つの目的でもあります。
でも果たして、家庭的って良いことなのでしょうか??もし仮に100%良いことなのであれば、全員自立または軽い要介護度が望ましいと持論を展開してみます。僕が考えるに要介護申請をして何らかの数字が出た人がここにいます。【利用者】という形で。
要介護というのは、介護保険サービスを受けるためにその人の状態がどの程度のものなのかを判定して出た結果で、主に要支援1~2、要介護1~5があり、稀に非該当と出てしまう方もいます。
この利用者っていう考え方ってどうなんだろうって考えさせられる時期が長くありましたね。グループホームを利用しているのだから利用者なのかもしれませんが、家庭的を押し付けるあまりに、利用者が不穏(落ち着かない状態)になったり、離設(施設から1人または複数人で出てしまう事故)したり、帰宅願望(本当の家、実家に帰りたいと思うこと)が出てきたりと、毎日課題が尽きませんでした。
事業所側が家庭的を本気で売り文句にするなら、とことん利用者のワガママや希望を聞いてあげようぜ!それを実現させてあげられるために、もっと職員を増やそうぜ!と僕は常に考えていました。
それが無理なのはわかっています。事業者も僕と同じような考えですが、経営として考えるなら難しいと言っていましたから。。
職員会議でも毎回、うざがれるくらい言っていたような気がします。今はだいぶ丸くなってますがw
だから僕が日中いる日は極力皆で散歩して表に出たり、車に乗ってドライブや近所の公園に行ってお茶したりと、希望やニーズに合ったことはしてきたつもりです。
他にも地域密着を活かした夏祭りやクリスマス会、利用者のためのお誕生日会やお花見会など企画して行なって来ました。楽しんでくれるならそれで良いと思えるように考え方が変わってきました。
いいところも勿論あります。家庭的な雰囲気を作ってみんなで親子兄弟のように生活する。職員はそのお手伝いをする。
グループホームをまとめると
グループホームで6年勤めてわかったことは、事業所によりますが、全てが中途半端だから職員が振り回されて、自然体で仕事が出来ないということ。仕事が思うように出来ない中堅介護士は自分と合う施設を探して辞めていく。
新しく入職した職員に、最初から介護とはとうん蓄や能書きをいってあきれられ辞めてしまう。介護全般に言えますが離職率と有効求人倍率は毎回トップクラスですよ介護って。
まあこんな感じです。介護の一部分ですが。
親父と介護について話すこと
親父と介護ネタで話すと僕に介護をやらせた本当の意図が見えてきます。
それは僕に対して、ふらつかないで実家または実家の近くにいてくれということ。そのつもりだけどどうした??体でも悪いのか??
答えは引きこもりの弟にありました。将来的には実家を継ぐ僕に、最終的には両親の面倒と弟の面倒を見てもらいたいとのことでした。
今実家にいるのは弟です。ですが社会に出るのが苦手なのでしょうか、結構高学歴ですがニートです。僕の中では立教大学を出てニート??頭のいい弟の考えが全くわからんと常に思いますが、数年前に将来の話をしたとき、感情をだいぶあらわにしたので両親、僕、姉、誰も触れていません。
でもね、もう亡くなりましたが、ばあちゃんの世話をしてくれたり、実家の家事全般は毎日やってくれるし、頼もしい弟ですよ。
ここでまとめ
親父が懸念していたことは、僕よりも弟のことです。僕が介護福祉士の資格を取った頃(5年くらい前)、介護施設を建てて起業するなんて話が親父からあったときには驚きました。
将来的に考えて、実家の田舎の土地活用を含めた話しですが、具体的にはまだ何も決まっていません。
親父が言っていました。弟もお前の下なら働いてくれるだろうと。だから起業するという大きな目標が親父にはありました。要は子供に投資ですよね。
ですが、親父は介護の現実を目の当たりにします。
それは何かというと、今現在、小さな介護の会社は潰れたり、吸収されたりしています。法人でも潰れるところがあるくらい競争率の激しい業種です。
実際、大きな老人ホームが目だって小さなところは人が入らず、利用者確保や職員確保のマネジメントが出来ないと辛いところ。これは僕がケアマネジャーの仕事をしているので肌で感じます。
大きな企業でも施設ばかり建てて、職員が集まらないまま営業を開始して、職員は毎日汗をかき、脱水に近い症状になりながらも頑張っています。
親父もその話を知った時に、これはちょっと大掛かりだぞ?と思うようになって企業の話しはなくなりそうです。だから親父に、なんかあったら戻ってくるから大丈夫!心配すんなと言いました。
僕に介護を勧めたのは将来的に自分が起業して、それに投資をしたかった。前提に僕が介護を続けることがありますが、ケアマネの資格を取って3年目が経ちますが、この仕事を続けながら実家での状況を把握していきたいと思います。